レーシック・レーゼック(ラセック)・イントラレーシックを日本で最初に行った、近視・遠視・乱視・老眼治療のパイオニア、錦糸眼科
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角膜屈折治療の先駆けとなったのはアールケーと呼ばれる手術で、1939年に日本で初めて行われました。
アールケーは角膜周囲に放射状の切れ込みを入れることで角膜のカーブを軽減化して近視を治す方法で、順天堂大学の佐藤勉教授が執刀しました。
しかし、アールケーによって内皮細胞を損傷してしまうため、佐藤教授の死後、しばらくは行われなくなっていました。
1972年、ロシアの医師フィヨドロフは角膜の表面だけに放射状の切開痕を入れるアールケーを行いました。
その後、アメリカなどで手術器具や術式に改良が加えられ、アールケーは2002年までにアメリカで120万件以上、カナダで約10万件など、世界中で行われるようになりました。
錦糸眼科でも5000例以上の実績があります。
レーシック(LASIK)は「Laser Assisted in-Situ Keratomileusis」の略で、1990年に確立された新しい屈折治療法ですが、その歴史は長く、レーシックの基礎となった「ケラトミレイシス」は1963年に初めて行われました。
「ケラトミレイシス」は角膜を薄く切り取ってフラップを作成し、凍らせてから精密に加工して角膜のカーブを変えてから元に戻すという方法でした。加工が難しいことと手術時間がかかるため、あまり普及しませんでした。
しかし、1988年にエーエルケーが行われてから再び注目されるようになりました。
エーエルケーはケラトミレイシスのフラップ作成をマイクロケラトームという器具を用いて行います。フラップを切り取らずに一部を残し、めくってその下を再びマイクロケラトームで削り取り、角膜のカーブを変えるという画期的な方法で、それが1990年のレーシックにつながりました。
1985年にはエキシマレーザーを用いて角膜表面を平坦化させるピーアールケーが開発されました。エキシマレーザーは角膜に熱を与えずに形状を加工できるため、屈折異常の手術には欠かせないものとなりました。
レーシックは角膜を削るときにエキシマレーザーを用いる点でエーエルケーと異なります。レーシックはピーアールケーに見られた強度近視を矯正した後の角膜混濁がなく、回復が早いため、以後レーザー屈折矯正手術の主流になりました。
術後の角膜安定にはフラップをできるだけ薄く作るほうが有利です。
1999年にはフラップを薄く作るため、ピーアールケーとレーシックを融合したようなレーゼック(ラセック)が開発されました。2004年にはオートレーゼックとも言えるエピレーシックが開発されました。どちらも強度近視の場合は角膜混濁の発生が避けられないため、中度近視までの術式として行われています。
2001年に究極の屈折手術とも言うべきイントラレーシックが開発されました。イントラレーシックはフラップをイントラレーザーで作るため、薄く精密で滑らかなフラップを作ることができるようになりました。イントラレーシックの登場によって、これまでレーシックやレーゼック、エピレーシックでは治療が困難な薄い角膜の方、非常に重い最強度近視の方にも治療が可能になりました。
術式とともにエキシマレーザー装置も発達しました。最先端のエキシマレーザー装置はウェーブフロントレーザーです。個々の角膜の違いにあわせてレーザーの照射を調整できるため、開発されたときは視力で2.0以上のスーパービジョンを目指すことも可能にしたと期待されました。しかし、網膜の視細胞密度が影響しますので、軽度の近視以外はなかなか2.0以上の視力を達成することは難しいようです。それでもウェーブフロントレーザーとイントラレーザーを用いたイントラ・ウェーブフロントレーシックではほとんどの例で1.0以上に視力が回復するようになりました。

